13.「都市空間の概念がない」日本の都市

 
全国各地の地方都市の駅前は、どこも似たような景色という印象がある。よく眺めてみればそれぞれの特色はあるのだが、大企業やフランチャイズの飲食店の看板が目立つせいか、記憶として残る印象が薄いのだ。それでも都市の玄関口である駅前は再開発がさかんにおこなわれ、昔と比べたらずいぶんきれいに整備され特色も出されるようになっているのも事実だが・・・。
日本の都市が金太郎あめのように特色がなくなったのは、戦後から高度経済成長の時代にかけてのことだろう。その要因の最大の理由として挙げられるのは、敗戦後のどさくさという事情だけでなく、「都市空間の概念そのものがなかった」からだろう。
しかしバブル経済が崩壊したころから都市景観への意識が高まり、広告規制もどんどん厳しくなってきた。小野博之氏(株式会社東京システック取締役相談役)は、「広告塔の終焉 進化する屋外サイン」として、次のような指摘をしている。
「わが国では超高層ビルが出現するまで建築基準法によって建物の最高高さが31mと規定された。これはヨーロッパの例を見習ったものだが、ヨーロッパでこの高さが割り出されたのは道路幅との調和や建物と道路で構成される都市空間の美しさが基となっている。したがってヨーロッパではそこに付加されるものは壁面でも屋上でも一切許容されない。しかも都市空間はそこに存在する建物に付随するものではなく、市民共有の財産という認識が根底にある。
日本の場合、その辺の根拠が理解できず、単に建物の高さだけを見習ったものだから袖看板も屋上看板も見境なく許容されることになってしまった。要するに日本では近代都市の空間概念がまったくないところに都市が形成されてしまった。
その認識の違いは都市を構成する建築の素材にあるのではなかろうか。日本の建築素材は木と土と紙なのに対しヨーロッパでは石とレンガである。老朽化だけではなく大火や地震の度に建て替えてきたわが国では都市空間に対する思想が希薄だったのに対し,ヨーロッパの場合一度造れば数百年は存在する建築に対し、確固とした都市の理念が先行しなければならなかったのは当然のことだ。日本では明治以後木造からレンガ、コンクリートと急速に変わった建築様式に対し都市の理念が伴わないのはいわば当然かもしれない。」(SIGNS 2010年の137号)
「都市空間は市民共有の財産」という観念は、近年の都市開発や小さな町づくりにおいてもたしかに広まりつつあるように思う。都市景観条例は全国の自治体でつくられているが、古都・京都などはとくに厳しい。また、いわゆる伝建(伝統建築保存)通りの保存なども全国各地でおこなわれるようになっている。
都市景観条例に付随して屋外広告に対しても厳しい規制が設けられるようになったが、21世紀に入って大きく変わったことは、ビル屋上のネオン塔がどんどん消えていったことである。たとえば、屋外広告に最も熱心だった松下電器の場合、全国で500件近いビル物件のネオン塔を1996年ごろから2002年までの間に撤去していったという。
「バブル崩壊を機に主要都市のビルがどんどん外資系の企業に買い取られることになり」、広告塔を撤去しなければならなったという理由もあるが、インターネット広告が普及したことも大きな要因だった。広告予算が分散され、企業名より商品名の広告をより重視するようになり、企業名をかかげたネオン塔の存在価値が低くなったわけである。
「最終的にとどめをさしたのは一昨年のリーマンショックを発端とした世界同時不況である。まるでかつての盛況が嘘のような低落ぶりなのだ。今後景気が戻ったとしても屋上広告塔の復活はありえないだろう」と小野博之氏は書いている。
2011年10月24日、東京出張の折にTOKYO CRUISEに乗って隅田川から東京の都心部を眺めてみた。東京スカイツリーが完成(2012年5月)する半年ほど前のことである。
川から眺めたらどんな景色が楽しめるものかと期待したのだが、なんとまぁ殺風景な景色であったことか。頭上に聳えたつビル群が壁となって、ビルのいずれも建築物としてたいした個性がなく、ビルの上に青空と雲をのぞくばかりだった。ビル屋上の広告物もなく、すっきり整然としているという見方もできるけれど、それにしても殺風景極まりない長い壁ばかりの都市空間であった。「都市空間は市民共有の財産」なのだから、けばけばしい広告物は論外としても、アート作品(オブジェ)でもあれば楽しいのに・・・、と川風を受けながら考えていた。  平野隆彰