穴太の石積

■著者
平野隆彰著
■出版社
■定価
2,300円(税込) 在庫切れ

石の声を聴け
野面積み石垣のルーツと歴史をたどる

穴太積みの素朴で力強い美しさ。シンプルな構造のなかに、
石工の心意気と巧みな技が隠されている。
安土城に始まったとされる穴太積みだが、
そのルーツを遡れば古墳時代にたどり着く。

日本の城郭の美しさというものは
建築物だけにあるわけではない。
重厚かつ堅牢な石垣があるからこそ
天守閣や櫓群も映えるのだ。
おそらく石垣のない城はみすぼらしい。

かんぽう  定価 2,300円(税込)
B5判 226p(カラー12p)

<目次>

第1章 穴太衆登場
穴太の石工はいつの頃から登場したのか
安土城によって天下に広まる穴太積みとは
どのようなものなのか
なぜ野面積み石垣の代名詞となったのか

第2章 石の声を聞け
安土城から四百年を経たいまなお
穴太衆のメッカ・近江坂本に
全国唯一、穴太積みの伝統を保持する家系が存在する
現在、十五代目を数える粟田家である

第3章 穴太積みの特徴
穴太積みの素朴で力強い美しさ
それは、石の個性を最大限に生かそうとする
石工の感性と心意気の現れでもある
シンプルな構造のなかにも
巧みな技が隠されている

第4章 石の文化・石工の技術
石は人類にとって貴重な資源だった
古代の人々は岩の相を観て、石の声を聞いて
生活の周辺にそれらを役立てた
技術の進歩、文化の発展は
石の加工から始まったといってもよいだろう

第5章 城と石垣
城の石垣は戦国時代とともに
より堅牢に、より大規模に、より高く、
積まれるようになっていく
こうした石垣積みの発達によって「平城」が主流となり、
天守の豪華さや縄張規模を誇る
「見せつける城」が出現していった
城と石垣は、歴史的かつ政治経済的な産物である

第6章 穴太積みを広めた「天下普請」
秀吉が命じた天下普請は
諸大名の築城技術を高めただけでなく
職人たちの技を披露する場にもなった
石垣師として名をあげた穴太衆の技は
織豊系大名の普請によって急速に広まっていった

第7章 徳川期・建築ラッシュと石垣の変化
徳川幕府初期には未曾有の建築ラッシュが起こった
天下を固める手段としても
諸大名の財力を削ぐ天下普請は有効であった
大工仕事にも石工仕事にも
作業効率をあげる分業化・規格化がさかんになっていく

第8章 倭城探訪
倭城の石垣は敵地の悪条件の下で築かれた
諸大名は短期間の普請で
いかに効率よく堅固に構築するかを体験した
豊臣政権の崩壊を早めた朝鮮出兵での教訓は
徳川政権の建築ラッシュで活かされた

第9章  城郭石垣の変遷
歴史的産物として戦乱の世に生まれた城郭
その多くの建物は消えていったが
「兵どもが夢の跡」は石垣に刻まれている
日本人の美意識と歴史を偲びつつ
名も無い石工の声なき声と 石の声を聞いてみよう

著者のコメント あとがき

 姫路城の三の丸には芝生が植えられ、「三の丸広場」として二十四時間開放されている。その楕円形の一周は約500メートルあり、一時期は筆者の夜のジョギングコースになっていた。姫路には十年ほど住んでいたが、その間に姫路城は法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録(1993年)された。

 白鷺城とも謳われているように、翼を広げたような姿はたしかに優美である。天守閣に入ると、当時の建築技術や木造建造物としての迫力に感動させられる。だが、日本の城の美しさというものは建築物だけにあるわけではない。重厚かつ堅牢な石垣があるからこそ天守閣や櫓群も映えるのだ。おそらく石垣のない天守はみすぼらしい。

 石垣そのものが雄大で美しい山城が、同じ兵庫県内にあった。姫路に住んでいた頃から何度となく訪れている但馬の竹田城である。周りの景色と相まって、戦国期山城の気を漂わせている。取って付けたような建築物がないこともあり、そこだけが歴史の時空を切り取っている。城郭の美は、石垣によって成り立つということを竹田城が示している。

 高校時代に訪ねた熊本のアーチ石橋「通潤橋」も、城郭石垣の技術から来ているのだろうか。そんなことも漠然と考えていたせいか、「穴太積み」に関する粟田純司氏の記事(日本経済新聞 2004年4月14日)を見たとき、ある種のヒラメキを覚えた。そして一週間ほど後には、教えを乞うため粟田氏を訪ねていた。

 天守を中心テーマとした城郭の本は多いが、穴太積みに関する本は皆無に等しかった(北垣氏の『石垣普請』は後に知った)。誰も書いていないことを書きたいというのは、もの書きの業である。粟田氏に会った一年ほど後に取材を開始した。いずれ戦国期の小説を書くつもりで、その下調べでもあったが、竹田城の石垣の声が筆者を誘ったのかもしれない。久しぶりにカメラを持ち、15年ぶりにバイクも買った。武者気分で鉄の馬に跨がり、戦国の道を走った。

 取材当初は、まさか韓国まで行くことになるとは思ってもみなかった。ところが、取材をはじめた半年後(2005年9月)に、「韓国の倭城と大坂城」という国際シンポジウムが二日にわたって大阪で開催された。この初日に参加してみて、これはぜひ倭城も取材しなければいけないと思ったのである。さっそくシンポジウム実行委員会の代表・黒田慶一氏に倭城取材のアドバイスをもらい、現地の案内人も紹介していただいた。

 こうして一年半で出版にこぎつける予定が半年ほどずれることになったが、取材をすればするほど勉強不足を思い知らされる。訪ねた城の数、取材エリアにしても片寄りのあったことは否めない。時間の余裕があれば北陸や信州にも足を伸ばし、中国・四国・九州の城をもっと訪ねてみたかった。しかしそうなれば本書一冊では納まらず、何年先になるかわからない。本書の出版を契機に、誰かがさらに詳しい穴太積みの本を書くことになれば幸いであり、それで本懐とすべきだろう。
 
 ところで、この本の編集が最終段階に入っていたとき、思いがけないことを耳にした。ある会合の席で雑談の折、「穴太の石工を主人公にした小説が週刊新潮に連載されていた」と知人から教えられたのだ。一週間ほど後、その知人から文庫本が送られてきた。『天下城』(佐々木譲著)という上下巻二冊である。2002年6月から翌年8月まで「週刊新潮」に連載され、2004年3月に新潮社から文庫本として刊行された、とある。筆者が粟田氏を初めて訪ねたのは、文庫本が出た一カ月後であった。しかし穴太衆の粟田氏からこの本の存在を聞いたことはない。

 小説『天下城』は、安土城普請より二十年ほど前から物語が展開する。信州での戦乱から逃れた少年・戸波(中尾)市郎太が、流浪のなかで穴太衆の仲間に入り、畿内各地の城郭石垣を築いていくうちに信長の目に止まり、安土城の普請を任されるというストーリーである。つまりこの小説では、穴太衆の存在は安土城以前に畿内の戦国大名の間にはかなり知られており、広く活躍していたという設定になっている。小説だから想像で自在に書けるわけだが、実際のところ、穴太衆が歴史の表舞台に登場するプロセスはこれに近かったのではなかろうかと思う。

 本書は小説ではないから、ここまで穴太衆の存在を活写できないが、門外漢の立場を逆手にとり、まともな研究者には言いにくいことも自由に書いたつもりだ。しかし想像で脱線したところや歴史上の誤りなどがあれば、忌憚なくご指摘願いたい。
 
 安土城や竹田城に代表される穴太積み(野面積み)とその歴史的背景などが、筆者とっての主たる興味であった。だから、本の題名は当初から『穴太積み』でいこうと決めてかかったのだが、原稿を書き上げた頃になって迷いが生じ、『穴太の石積(み)』とすることにした。穴太の石工たちは、野面積み(古式穴太積み)に始まり、石材加工技術の発展や時代の要請とともに石積みの手法を変えていったからである。ただし、石積みの手法の変化や石垣の変遷については、とうてい筆者の任ではないので基本的な話にとどめた。

 石積みの技術的な点については、粟田氏からいろいろご教示いただいたが、「石の声を聴く」には経験を積んでも十年はかかる。それでも技術面のことをさらに詳しく知りたいという方は、奥付に記した「穴太積み研究所」の門をたたくことをお勧めする。

 最後に、本書の取材において多くの方たちのご協力を得たことに対し、お名前は挙げないが、ここに改めてお礼申し上げたい。

  2006年師走
                             平野 隆彰