桜沢如一。100年の夢。
混迷する現代に贈る、壮大なる夢。
いまや世界に広がりつつあるマクロビオティック-----
マドンナやトムクルーズも
美容・健康法として実践している。
その創始者は桜沢如一という日本人である。
しかし波乱万丈の生涯を駆け抜けた如一の夢は、
単なる美容・健康法の普及ではない。
正しい食を通じて、自由自立の精神を養い、
宇宙の真理に至らんとする壮大な夢である。
いま、病める現代人が立ち返るべき原点が、ここにある。
如一は、草が生い茂る原っぱに来ると、ステッキで草をなぎ倒しながらこう言った。
「ぼくはこれから世界中のこうした道のないところに無双原理を広めるんだ。五十年、いや百年以上はかかるだろう。ぼく一人ではとうてい無理なことだし、百年先に続く若い人材を育てていきたい。君は料理で多くの人の健康をつくる仕事をやってほしい」
本書より
「スキなことをタンノーするほどやりぬき、スバラシイ、オモシロイ、ユカイな一生を送る。そしてスベテの人々に永く永くよろこばれ、
カンシャされることである」 如一
もくじ
プロローグ その1 I think, so I am not.
プロローグ その2 世紀の対決
プロローグ その3 無双原理
プロローグ その4 表大なれば裏も大なり
プロローグ その5 マクロビオティックの種は飛ぶ
プロローグ その6 細胞という宇宙のユメ
プロローグ その7 土と草と血と
エピローグ 永遠の少年GO
アートヴィレッジ 定価(本体1800円+税)
◆都市部の大型書店、BOOKネットショップ、アマゾンなどでお求めください。
日本CI協会 http://www.ci-kyokai.jp
あとがき
New York GO
アルミ製のスーツケースに黒い太文字で走り書きしてあった。フーテンの寅さんが持ち歩いた革製トランクより一回りほど大きい。私は懐かしい人と何十年ぶりに再会したような感慨に浸った。
それは小豆島にある「桜沢記念館」の一室に所在なく置かれていた。たったいまニューヨークから帰ってきたように。スーツケースのなかには桜沢如一のシャツやオーバーコート、リマの服も一緒に納められていた。フランス語の赤いタイプライター、小さなしゃれた扇風機もあった。本棚にはフランス語や英語の本なども並んでいる。
東日本大震災から二カ月半余の2011年5月30日。姫路港からフェリーに乗って越智俊一氏とこの記念館を訪れた。瀬戸内気候の明るい日差しに照らされて、芝生のある庭に白亜の洋風建物が人気なく静まっている。建物の裏手には自然石に刻んだ顕彰碑が二基並び建ち、GOを祀る小さな社も鎮座していた。
この記念館建設には(株)マルシマフーズの経営者・杢谷(もくたに)清氏(84歳)が私財を投じた。醤油や味噌をはじめ関連会社でもさまざまな加工食品を製造販売している杢谷氏にとって、GOは生涯の大恩人である。昭和40年、大病から生還したばかりでなく、ほんとうの食品のあり方について厳しく教えられたからだ。だからいまも『桜沢如一とリマの顕彰会』の会長を務め、年に一、二度はこの記念館で会員たちの集まりを開いているという。田中愛子さんもそのメンバーの一人である。
杢谷氏のようにGOに恩義を感じている人々は日本や世界各地にいるにちがいない。だが、そういう人の多くは高齢となり鬼籍に入った人も少なくない。幸い日本CI協会には膨大な資料が残されていたが、GOの伝記や小説を書こうとすれば編年史的に整理した上で世界各地を取材しなければいけない。しかしGOのことを資料のみで何とか書いてみたい、しかも一年半という短期間で。
思いあぐねた末に「プレ小説」。そんな手法など聞いたこともないし、出版社の意向で「伝記小説」という副題になったが、私にとっては七つの章のすべてがプロローグのつもりである。つまり、間口も広いが奥行きも深い、桜沢如一という巨人の“百年の夢の入口”に立つのがこの本の目標地点なのだ。その意味では本書の語り手の久保田真一も、私自身も読者の一人なのである。私には桜沢記念館で見たスーツケースが新たな小説のはじまりのように想われた。
マクロビオティックが世界に広がりつつあるなかで創始者のGOが人々の記憶から忘れられようとしている。GOにおいてはそんなことおかまいなしだろうが、マクロビオティックの原理(無双原理)がどのような時代にどのような経過で生まれてきたのかを知ることは意義のあることだと私は信じる。この度の大震災で“想定外”が連発された福島原発の人災が教訓するように、人間、いつの時代になっても“イグノラムス(我知らず)”なのだから……。
末筆ながら、本書の企画段階から原稿執筆の途中にも励ましや助言をいただいたアートヴィレッジの越智俊一氏には心よりお礼を申しあげます。また、GOの墓参に案内いただいた岸江治次氏(元正食協会事務局長)をはじめ日本CI協会や正食協会の関係者、そして取材協力をいただいた方々にも深く感謝いたします。
2011年初夏
平野 隆彰
アルミ製のスーツケースに黒い太文字で走り書きしてあった。フーテンの寅さんが持ち歩いた革製トランクより一回りほど大きい。私は懐かしい人と何十年ぶりに再会したような感慨に浸った。
それは小豆島にある「桜沢記念館」の一室に所在なく置かれていた。たったいまニューヨークから帰ってきたように。スーツケースのなかには桜沢如一のシャツやオーバーコート、リマの服も一緒に納められていた。フランス語の赤いタイプライター、小さなしゃれた扇風機もあった。本棚にはフランス語や英語の本なども並んでいる。
東日本大震災から二カ月半余の2011年5月30日。姫路港からフェリーに乗って越智俊一氏とこの記念館を訪れた。瀬戸内気候の明るい日差しに照らされて、芝生のある庭に白亜の洋風建物が人気なく静まっている。建物の裏手には自然石に刻んだ顕彰碑が二基並び建ち、GOを祀る小さな社も鎮座していた。
この記念館建設には(株)マルシマフーズの経営者・杢谷(もくたに)清氏(84歳)が私財を投じた。醤油や味噌をはじめ関連会社でもさまざまな加工食品を製造販売している杢谷氏にとって、GOは生涯の大恩人である。昭和40年、大病から生還したばかりでなく、ほんとうの食品のあり方について厳しく教えられたからだ。だからいまも『桜沢如一とリマの顕彰会』の会長を務め、年に一、二度はこの記念館で会員たちの集まりを開いているという。田中愛子さんもそのメンバーの一人である。
杢谷氏のようにGOに恩義を感じている人々は日本や世界各地にいるにちがいない。だが、そういう人の多くは高齢となり鬼籍に入った人も少なくない。幸い日本CI協会には膨大な資料が残されていたが、GOの伝記や小説を書こうとすれば編年史的に整理した上で世界各地を取材しなければいけない。しかしGOのことを資料のみで何とか書いてみたい、しかも一年半という短期間で。
思いあぐねた末に「プレ小説」。そんな手法など聞いたこともないし、出版社の意向で「伝記小説」という副題になったが、私にとっては七つの章のすべてがプロローグのつもりである。つまり、間口も広いが奥行きも深い、桜沢如一という巨人の“百年の夢の入口”に立つのがこの本の目標地点なのだ。その意味では本書の語り手の久保田真一も、私自身も読者の一人なのである。私には桜沢記念館で見たスーツケースが新たな小説のはじまりのように想われた。
マクロビオティックが世界に広がりつつあるなかで創始者のGOが人々の記憶から忘れられようとしている。GOにおいてはそんなことおかまいなしだろうが、マクロビオティックの原理(無双原理)がどのような時代にどのような経過で生まれてきたのかを知ることは意義のあることだと私は信じる。この度の大震災で“想定外”が連発された福島原発の人災が教訓するように、人間、いつの時代になっても“イグノラムス(我知らず)”なのだから……。
末筆ながら、本書の企画段階から原稿執筆の途中にも励ましや助言をいただいたアートヴィレッジの越智俊一氏には心よりお礼を申しあげます。また、GOの墓参に案内いただいた岸江治次氏(元正食協会事務局長)をはじめ日本CI協会や正食協会の関係者、そして取材協力をいただいた方々にも深く感謝いたします。
2011年初夏
平野 隆彰