本当の「才能」見つけて育てよう
子どもをダメにする英才教育
才能教育って、英才教育じゃないの?
才能のある子どもほど、実は困っている!
多様な伸びる力に気づき、育てたい
そんな心ある親と教師に贈る
<目次>
〈第1章〉早期教育をどう考えたらよいのか
〈第2章〉家庭と学校で才能を育てるには
〈第3章〉進学校の「できる子」たち
〈第4章〉才能とは、才能教育とは何だろう
〈第5章〉多様な才能を見つける
〈第6章〉才能を育てるアメリカの学校教育
〈第7章〉才能を見つけて育てる教育とは
ミネルヴァ書房 定価 本体2000円+税
著者のコメント
●はじめに
「子どもの才能を伸ばす」とか、過激に「天才児に育てる」とかアピールする本は、これまでにもたくさん出ています。そこには、「こういうときにはこうしなさい」という具体的なアドバイスがたくさん並んでいます。それらをマニュアルのように守ればきっと才能が伸びるように思えてきます。でも、ほんとうにそんな「魔法のことば」はあるのでしょうか? じつのところ、教育や育児には、お手軽な近道はありません。それでも育児本や育児雑誌、習い事の教室などは、魅惑的なことばで誘って親の焦りをあおってきます。そういった誘いかけには十分用心して、冷静な正しい認識をしていただきたいというのが、この本の一つの願いです。
この本では、子どもの才能を育てることについて、親や学校の先生がどうやってどこまでできるのか、親は子どもの才能がどう伸びることをどんな学校に期待できるのか、といった問題を、まじめに考えなおしてみます。それは、心理学や教育学での理論・実践的研究でわかってきたことに基づいています。親御さんは、ぜひそれを理解、納得されて、お子さんの発達を賢明に支援されることを願います。
日本の学校では、実際は子どもたちの才能を育てる優れた教育が行われているのに、「才能教育」というのは、不思議なことに公式には存在しません。そのために人によって才能教育からイメージするものはさまざまで、誤解や偏見も生じます。そこで、この本では、共通認識に必要な概念を整理した上で、子ども一人ひとりがいろんなことを学んでいく際の個性、つまり得意なところと苦手なところをうまく見つけて、学ぶ力を最適に伸ばすという問題について考えます。親の思い込みで子どもを枠にはめてしまって、英才教育で追い立ててダメにしてしまってはいけません。子どもの本当の才能を見つけて、尊重して育みましょうという願いが、少し過激なタイトルに込められています。
ですから、お子さんをもつ親御さんだけでなく、学校の先生にも、ぜひ読んでいただきたいと願います。学級の子ども一人ひとりの「いいところ」にふだん気づきながらも、それを才能として、才能教育の概念からとらえ直す先生は、残念ながらめったにいないでしょう。最近の学校では、ゆとり教育から生じたといわれる学力低下への対処として、詰め込み教育への復古の流れがあります。しかし、決まった方法でやみくもに学習させるのではなく、子ども一人ひとりの才能の特性を見つけて、それに合った学習方法が必要なのです。また特別支援教育が本格的に開始され、従来放っておかれた発達障害をもつ子どもたちのケアもされるようになってきました。それでも子どもの苦手なところを見つけてそれを補うのがまず第一だと考えられ、その子どもの得意なところを積極的に見つけ、伸ばして生かそうという発想は二の次になっているのです。また、心理学や教育学を学ぶ大学の学生さんにも読んでいただけると、きっとためになると信じます。発達心理学などの授業では、発達の法則的な話は出てきますが、個性ある発達の話まではめったにされません。心理学でも教育学でも、才能の話は授業ではめったに取り上げられません。これは残念ながらやむを得ません。国際的には驚くべきことなのですが、日本では才能教育の学問領域が存在しないのですから。けれども、子どもの、そして私たち自身の才能を生かすという問題は、ぜひ学生のうちに考えていただきたいものです。
この本を手にしてくださった心ある親御さんや先生、学生さんたちが、少しでも観点を変えてみて、子どもたちに合った学習環境を、家庭や学校でどう整えていけばいいかを考えていただければ幸いです。
2008年5月 松村 暢隆
●あとがき
この本でも述べたように、日本で正しい「才能教育」の認知は、一般にも専門家にもまだ不十分で、英才教育、エリート教育と混同されます。しかし、「正しい」才能教育はけっしてそういうものではなく、IQなど特定の基準で少数の子どもを才能児だと認定してエリート扱いすることに私は反対であることは再確認しておきます。
また読者は「ほんとうの才能」という意味も理解していただけたなら幸いです。才能は多様であって、だれでも得意な面があり、苦手な面があります。親の願望を子どもに投影して子どもの得意な分野を決めつけてしまうのではなく、子ども自身が本来もっていて、興味、意欲をもって伸ばしていける才能を尊重できるような、学習の場を用意してあげていただきたいのです。
「才能教育」ということば自体、まだ日本で使うには時期尚早かもしれません。何らかの分野で並外れて優れた能力を伸ばすのは狭い意味での才能教育ですが、この本でも見たように、すべての子どもの能力、意欲、創造性を高めながら、その中で並外れて優れた特性も伸びるように配慮するのも、才能教育の方法です。子ども一人ひとりの「いいところ」を尊重して伸ばすので、日本でも従来から草の根的に(文科省主導でなく)実践されてきた「個性化教育」という呼び名で表せる教育方法に暫定的に含めるのがいいのかもしれません。私の考える才能教育と共通する理念で、すでに三〇年前から、愛知県知多郡東浦町立緒川小学校などでの個別化・個性化教育の実践を通じて研究してこられたのが、加藤幸次先生(上智大学名誉教授)です。敬意を表しつつ、その理念を別の形で今後の研究に継承発展させて行きたいと思います。
ところで、私はこのような本を書いて「教育学者」のように見えるかもしれませんが、研究のベースはあくまで心理学です。私はアメリカの才能教育、つまり畑違いの教育学に興味を抱いて、コネティカット大学に1992~3年に8カ月滞在し、才能教育研究の泰斗レンズーリ教授に師事しました。帰国後、レンズーリのSEMなどを論文で紹介したところ、故・佐藤三郎先生が注目してくださり、アメリカ教育学会に誘ってくださいました。そこで加藤先生をはじめ、教育学の先生方に接することができました。また教育実践を教育方法学として理論構築する真摯な研究態度を、安彦忠彦先生(早稲田大学教授)に私淑して、安彦先生のお弟子で第3章を執筆された野添絹子先生と同様に、研鑽しているところです。野添先生は、第7章で述べた2Eの科研費研究の協力者もお願いしたのです。この本の構成上、第3章の内容を、才能教育にも明るく中高の進学校で教えた人に書いて欲しかったのですが、まさに最適任者に担当していただけたのは幸運でした。
なお、コネティカット大学には、2003~4年にも7カ月間再訪できました。この本にはアメリカ各地の学校訪問記を詳しく盛り込めませんでしたが、新たに吸収したことがこの本と今の研究を支えています。訪米の機会を与えてくださった日米教育委員会(フルブライト・プログラム)に感謝いたします。
日本では才能教育の独立した研究分野がまだ存在しないので、才能教育の研究者はきわめて少数です。そのため浅学の私でもその第一人者と目されて、マスコミ取材が来たりもします。でも才能教育の研究には先駆的な教育学者がおられ、岩永雅也先生(放送大学教授)は、放送大学の講座を通じての啓蒙活動を計画されています。また本多泰洋先生(東京女学館大学教授)は、好著『オーストラリア連邦の個別化才能教育―米国および日本との比較』(08、学文社)を出版されました。将来的に、研究者が増えて連携して、才能教育学会が作れるほどの、研究の拡大を願っています。現在、理科での2E教育について私と共同研究されている、科学教育の才能のある研究者、隅田学先生(愛媛大学准教授)にも敬意、感謝と期待を表します。私は、才能教育の有効な切り口が特別支援教育だと信じて、隅田先生と研究を進めているのですが、今までの特別支援教育では、子どもの得意な面を伸ばすことに取り組まれていなかったのが問題点だと認識され、私共の2Eの研究に注目して下さる発達障害の研究者もおられます。児童精神医学の第一人者、杉山登志郎先生(あいち小児保健医療総合センター保健センター長)と、名古屋大学発達心理精神科学教育研究センターの野邑健二先生(特任准教授)、小倉正義先生です(同センターでのシンポジウムに呼んで頂きました)。2Eを巡って領域の異なる研究者の関心が高まり交流が深まることを期待します。
第7章で紹介した「シャトル学習」を実践されている、香川大学教育学部附属坂出中学校の、山神眞一校長先生、環修副校長先生始め諸先生方にも感謝致します。SEMやMI的な解釈が有意義であることを認めていただけました。日本の風土に根付ける新しい拡充プログラムを、先駆的モデルとして示された功績は大きいと思います。最初、同校に私をご紹介下さった、田中統治先生(筑波大学教授)にも改めてお礼申し上げます。この本を出版していただけたのは、平野智照氏(㈲あうん社社長)のご尽力によるところが多大です。平野氏は私の前著『アメリカの才能教育』に関心を寄せてくださいました。同書はかなり専門的であったため、もっと一般向けに書けばいいのではないかと執筆を勧めてくださり、編集と出版交渉の労を執ってくださいました。ぶじ本が完成したのは、また文章がいくらかでも読みやすくなっているなら、平野氏のお陰です。
初めは「賢いお母さん向けの家庭教育について」という企画でしたが、私はどうしても学校教育について多くを語りたいため、このような本の構成になりました。後半は親御さんには興味がなかったり、むずかしい話もあるかもしれませんが、「賢いお母さん」にはぜひ熟読して知っていただきたいです。いっぽう、これでもまだ学校の才能教育については記述できた情報が圧倒的に不足しています。興味をもたれた読者はぜひ前著に当たっていただければ幸いです。同著の一部の情報はしだいに古くなりますが、最新情報にインターネット等でアクセスできる手がかりがあります。私の前著に平野氏が注目されたのは、㈲あうん社が編集した本の著者が紹介してくださったからです。その方は、第2章の文献に挙げた『5歳6歳スイス留学大作戦』の著者、若草まや(筆名)さんです。インターナショナルなお嬢さんお二人が才能を存分に伸ばして成長されることを祈りつつ、この本誕生のきっかけを作ってくださったことに感謝します。最後になりましたが、出版事情が厳しい折、先行き不明の企画を通してくださり、脱稿まで長く辛抱強く待ってくださった、ミネルヴァ書房編集部の戸田隆之氏に感謝致します。
なお、用語の漢字表記で一つお断りしておきます。「障害」という表記です。現在文科省を始め、学術用語ではこの書き方が用いられています。ですからこの本でもそのように表しました。しかし、偏見や否定的イメージを配慮して、最近は役所など行政では「障がい」と表されることもあります。それでも「障がい」は字面的にやはりアンバランスを感じざるをえません。そこで、今後は、「障碍」という表記が広まるといいのではと思っています。この書き方は最近は専門的な論文でも用いられるようになってきました。歴史的に見て、戦前は「障碍(礙)」と書いたのですが、戦後の漢字制限のために「障害」に書き換えられてしまったそうです。「障」も「碍」も「差し障り」という同じような意味です。「障碍」をもつ人たちが生活していく上での環境の差し障りを、社会はできるだけ取り除いていかないといけません。
松村 暢隆
「子どもの才能を伸ばす」とか、過激に「天才児に育てる」とかアピールする本は、これまでにもたくさん出ています。そこには、「こういうときにはこうしなさい」という具体的なアドバイスがたくさん並んでいます。それらをマニュアルのように守ればきっと才能が伸びるように思えてきます。でも、ほんとうにそんな「魔法のことば」はあるのでしょうか? じつのところ、教育や育児には、お手軽な近道はありません。それでも育児本や育児雑誌、習い事の教室などは、魅惑的なことばで誘って親の焦りをあおってきます。そういった誘いかけには十分用心して、冷静な正しい認識をしていただきたいというのが、この本の一つの願いです。
この本では、子どもの才能を育てることについて、親や学校の先生がどうやってどこまでできるのか、親は子どもの才能がどう伸びることをどんな学校に期待できるのか、といった問題を、まじめに考えなおしてみます。それは、心理学や教育学での理論・実践的研究でわかってきたことに基づいています。親御さんは、ぜひそれを理解、納得されて、お子さんの発達を賢明に支援されることを願います。
日本の学校では、実際は子どもたちの才能を育てる優れた教育が行われているのに、「才能教育」というのは、不思議なことに公式には存在しません。そのために人によって才能教育からイメージするものはさまざまで、誤解や偏見も生じます。そこで、この本では、共通認識に必要な概念を整理した上で、子ども一人ひとりがいろんなことを学んでいく際の個性、つまり得意なところと苦手なところをうまく見つけて、学ぶ力を最適に伸ばすという問題について考えます。親の思い込みで子どもを枠にはめてしまって、英才教育で追い立ててダメにしてしまってはいけません。子どもの本当の才能を見つけて、尊重して育みましょうという願いが、少し過激なタイトルに込められています。
ですから、お子さんをもつ親御さんだけでなく、学校の先生にも、ぜひ読んでいただきたいと願います。学級の子ども一人ひとりの「いいところ」にふだん気づきながらも、それを才能として、才能教育の概念からとらえ直す先生は、残念ながらめったにいないでしょう。最近の学校では、ゆとり教育から生じたといわれる学力低下への対処として、詰め込み教育への復古の流れがあります。しかし、決まった方法でやみくもに学習させるのではなく、子ども一人ひとりの才能の特性を見つけて、それに合った学習方法が必要なのです。また特別支援教育が本格的に開始され、従来放っておかれた発達障害をもつ子どもたちのケアもされるようになってきました。それでも子どもの苦手なところを見つけてそれを補うのがまず第一だと考えられ、その子どもの得意なところを積極的に見つけ、伸ばして生かそうという発想は二の次になっているのです。また、心理学や教育学を学ぶ大学の学生さんにも読んでいただけると、きっとためになると信じます。発達心理学などの授業では、発達の法則的な話は出てきますが、個性ある発達の話まではめったにされません。心理学でも教育学でも、才能の話は授業ではめったに取り上げられません。これは残念ながらやむを得ません。国際的には驚くべきことなのですが、日本では才能教育の学問領域が存在しないのですから。けれども、子どもの、そして私たち自身の才能を生かすという問題は、ぜひ学生のうちに考えていただきたいものです。
この本を手にしてくださった心ある親御さんや先生、学生さんたちが、少しでも観点を変えてみて、子どもたちに合った学習環境を、家庭や学校でどう整えていけばいいかを考えていただければ幸いです。
2008年5月 松村 暢隆
●あとがき
この本でも述べたように、日本で正しい「才能教育」の認知は、一般にも専門家にもまだ不十分で、英才教育、エリート教育と混同されます。しかし、「正しい」才能教育はけっしてそういうものではなく、IQなど特定の基準で少数の子どもを才能児だと認定してエリート扱いすることに私は反対であることは再確認しておきます。
また読者は「ほんとうの才能」という意味も理解していただけたなら幸いです。才能は多様であって、だれでも得意な面があり、苦手な面があります。親の願望を子どもに投影して子どもの得意な分野を決めつけてしまうのではなく、子ども自身が本来もっていて、興味、意欲をもって伸ばしていける才能を尊重できるような、学習の場を用意してあげていただきたいのです。
「才能教育」ということば自体、まだ日本で使うには時期尚早かもしれません。何らかの分野で並外れて優れた能力を伸ばすのは狭い意味での才能教育ですが、この本でも見たように、すべての子どもの能力、意欲、創造性を高めながら、その中で並外れて優れた特性も伸びるように配慮するのも、才能教育の方法です。子ども一人ひとりの「いいところ」を尊重して伸ばすので、日本でも従来から草の根的に(文科省主導でなく)実践されてきた「個性化教育」という呼び名で表せる教育方法に暫定的に含めるのがいいのかもしれません。私の考える才能教育と共通する理念で、すでに三〇年前から、愛知県知多郡東浦町立緒川小学校などでの個別化・個性化教育の実践を通じて研究してこられたのが、加藤幸次先生(上智大学名誉教授)です。敬意を表しつつ、その理念を別の形で今後の研究に継承発展させて行きたいと思います。
ところで、私はこのような本を書いて「教育学者」のように見えるかもしれませんが、研究のベースはあくまで心理学です。私はアメリカの才能教育、つまり畑違いの教育学に興味を抱いて、コネティカット大学に1992~3年に8カ月滞在し、才能教育研究の泰斗レンズーリ教授に師事しました。帰国後、レンズーリのSEMなどを論文で紹介したところ、故・佐藤三郎先生が注目してくださり、アメリカ教育学会に誘ってくださいました。そこで加藤先生をはじめ、教育学の先生方に接することができました。また教育実践を教育方法学として理論構築する真摯な研究態度を、安彦忠彦先生(早稲田大学教授)に私淑して、安彦先生のお弟子で第3章を執筆された野添絹子先生と同様に、研鑽しているところです。野添先生は、第7章で述べた2Eの科研費研究の協力者もお願いしたのです。この本の構成上、第3章の内容を、才能教育にも明るく中高の進学校で教えた人に書いて欲しかったのですが、まさに最適任者に担当していただけたのは幸運でした。
なお、コネティカット大学には、2003~4年にも7カ月間再訪できました。この本にはアメリカ各地の学校訪問記を詳しく盛り込めませんでしたが、新たに吸収したことがこの本と今の研究を支えています。訪米の機会を与えてくださった日米教育委員会(フルブライト・プログラム)に感謝いたします。
日本では才能教育の独立した研究分野がまだ存在しないので、才能教育の研究者はきわめて少数です。そのため浅学の私でもその第一人者と目されて、マスコミ取材が来たりもします。でも才能教育の研究には先駆的な教育学者がおられ、岩永雅也先生(放送大学教授)は、放送大学の講座を通じての啓蒙活動を計画されています。また本多泰洋先生(東京女学館大学教授)は、好著『オーストラリア連邦の個別化才能教育―米国および日本との比較』(08、学文社)を出版されました。将来的に、研究者が増えて連携して、才能教育学会が作れるほどの、研究の拡大を願っています。現在、理科での2E教育について私と共同研究されている、科学教育の才能のある研究者、隅田学先生(愛媛大学准教授)にも敬意、感謝と期待を表します。私は、才能教育の有効な切り口が特別支援教育だと信じて、隅田先生と研究を進めているのですが、今までの特別支援教育では、子どもの得意な面を伸ばすことに取り組まれていなかったのが問題点だと認識され、私共の2Eの研究に注目して下さる発達障害の研究者もおられます。児童精神医学の第一人者、杉山登志郎先生(あいち小児保健医療総合センター保健センター長)と、名古屋大学発達心理精神科学教育研究センターの野邑健二先生(特任准教授)、小倉正義先生です(同センターでのシンポジウムに呼んで頂きました)。2Eを巡って領域の異なる研究者の関心が高まり交流が深まることを期待します。
第7章で紹介した「シャトル学習」を実践されている、香川大学教育学部附属坂出中学校の、山神眞一校長先生、環修副校長先生始め諸先生方にも感謝致します。SEMやMI的な解釈が有意義であることを認めていただけました。日本の風土に根付ける新しい拡充プログラムを、先駆的モデルとして示された功績は大きいと思います。最初、同校に私をご紹介下さった、田中統治先生(筑波大学教授)にも改めてお礼申し上げます。この本を出版していただけたのは、平野智照氏(㈲あうん社社長)のご尽力によるところが多大です。平野氏は私の前著『アメリカの才能教育』に関心を寄せてくださいました。同書はかなり専門的であったため、もっと一般向けに書けばいいのではないかと執筆を勧めてくださり、編集と出版交渉の労を執ってくださいました。ぶじ本が完成したのは、また文章がいくらかでも読みやすくなっているなら、平野氏のお陰です。
初めは「賢いお母さん向けの家庭教育について」という企画でしたが、私はどうしても学校教育について多くを語りたいため、このような本の構成になりました。後半は親御さんには興味がなかったり、むずかしい話もあるかもしれませんが、「賢いお母さん」にはぜひ熟読して知っていただきたいです。いっぽう、これでもまだ学校の才能教育については記述できた情報が圧倒的に不足しています。興味をもたれた読者はぜひ前著に当たっていただければ幸いです。同著の一部の情報はしだいに古くなりますが、最新情報にインターネット等でアクセスできる手がかりがあります。私の前著に平野氏が注目されたのは、㈲あうん社が編集した本の著者が紹介してくださったからです。その方は、第2章の文献に挙げた『5歳6歳スイス留学大作戦』の著者、若草まや(筆名)さんです。インターナショナルなお嬢さんお二人が才能を存分に伸ばして成長されることを祈りつつ、この本誕生のきっかけを作ってくださったことに感謝します。最後になりましたが、出版事情が厳しい折、先行き不明の企画を通してくださり、脱稿まで長く辛抱強く待ってくださった、ミネルヴァ書房編集部の戸田隆之氏に感謝致します。
なお、用語の漢字表記で一つお断りしておきます。「障害」という表記です。現在文科省を始め、学術用語ではこの書き方が用いられています。ですからこの本でもそのように表しました。しかし、偏見や否定的イメージを配慮して、最近は役所など行政では「障がい」と表されることもあります。それでも「障がい」は字面的にやはりアンバランスを感じざるをえません。そこで、今後は、「障碍」という表記が広まるといいのではと思っています。この書き方は最近は専門的な論文でも用いられるようになってきました。歴史的に見て、戦前は「障碍(礙)」と書いたのですが、戦後の漢字制限のために「障害」に書き換えられてしまったそうです。「障」も「碍」も「差し障り」という同じような意味です。「障碍」をもつ人たちが生活していく上での環境の差し障りを、社会はできるだけ取り除いていかないといけません。
松村 暢隆