穴太の石積み (第二版第1刷)
本書は2007年2月に初版を発行し、5~6年前には在庫がなくなりました。
ここ数年なぜか、書店をはじめ読者からの問い合わせ(「図書館で見たが、アマゾンや古書店を探してもない。ぜひ買いたい」など)が増えていました。「何とか手に入れたい」とのご要望に応え、第二版として発行することになりました。 あうん社
『穴太の石積み』もくじ
第1章 穴太衆登場
第2章 石の声を聴け
第3章 穴太積みの特徴
第4章 石の文化・石工の技術
第5章 城と石垣
第6章 穴太積みを広めた「天下普請」
第7章 徳川期・建築ラッシュと石垣の変化
第8章 倭城探訪
第9章 城郭石垣の変遷
第二版あとがき
初版本の在庫がなくなってから、かれこれ五、六年になるだろうか。その間、書店や個人から注文の問い合わせ(メールや電話)がぽつぽつ寄せられていた。アマゾンでは、新刊が出てすぐにも中古本が出回るが、この初版本に限っては中古も出ていないし、たまたま見かければ、税込み定価(二三〇〇円)の何倍ものプレミアム値がついて出ていたりもした。そんな中、注文に応えるべく増刷を何度か検討もしたが、在庫のリスクを考えると「やはり止めておこう」となってしまう。
本が売れなくなって久しい昨今、少部数で発行したいという版元のリスク回避のニーズに対応して、印刷業界ではオンデマンド印刷の技術をだいぶ進化させてきた。正直なところ写真解像度などのクオリティはどうかと疑っていたが、通常のオフセット印刷と比べても遜色ない。そこに納得できたので本書の第二版発行となった。
さて、粟田純司さんとは「日本伝統職人技術文化研究会」の会合で何度かお会いしていたが、この夏、第二版の相談のために粟田家を訪ねたのはおよそ十年ぶりであった。
「私は今年八一になりましたよ。足腰がだいぶ弱ってね、現場案内もできなくなった」と粟田さんは笑いながら言った。思えば、本書の取材で現地案内をしていただいた粟田さんは健脚そのもので、取材のあとは居酒屋で焼酎を何杯もお代わりされていたことを懐かしく思い出す。
初版の「あとがき」にも書いているが、私の取材の相棒は「鉄の馬」(ホンダのスティング)だった。四国取材のときには奥深い山中で夕暮れが迫り、ここでガソリンが切れたらどうしようなどと思ったものだ。その鉄の馬で走行中に転倒したのをきっかけに七年ほど前に廃車した。山城を中心とした『穴太の石積』の続編(巻2)の出版を念願していたが、愛馬がいなくなったことを自らの言い訳にして断念した。
城郭ファンは昔からずいぶん多いようだが、近年はそれが「山城ブーム」に変わってきていると、知人や初版本の読者から聞いたことがある。初版本の購入者の記録を改めてみると、職業は造園や建築・設計・マスコミ関係者も少なくないが、ほとんどは市井の歴史愛好家や城郭・山城ファンの人たちだろうと推察できる。
山城といえば、石垣がよく保全された竹田城は、天空の城の呼び名のとおり、雲海に包まれたときの景観は幻想的といってよいほど美しい(私が住む丹波市の黒井城の雲海も負けないほどすばらしいが)。だから表紙カバーの写真は竹田城と決めていた。雲海の頃をねらって訪れたのは二〇〇六年の初秋、日の出の少し前だった。すでに三脚にカメラを据えた数人の人影がみえたので、私はその人影が写らない地点に移動しながら撮影していった。当時の竹田城は出入り自由だったし、城郭ファンというより一部の写真愛好家たちにとって格好の被写体だったのだ。それがいつしか入場料(観覧料)が設けられ、「竹田城・雲海ツアー」が売り出されるほどの観光スポットになっているという。初版本が出た二〇〇七年には想像できなかったことである。
半ば諦めかけていた本書の「第二版」を少部数ながら発行できたのは、印刷技術の進歩のほかに山城ブームのおかげもあるとすれば、一層喜ばないわけにはいかない。一過性のブームで終わらないことを願いつつ、私が果たせなかった「続編」を誰かが上梓することを期待している。
令和三年(二〇二一)夏
平野 隆彰
本が売れなくなって久しい昨今、少部数で発行したいという版元のリスク回避のニーズに対応して、印刷業界ではオンデマンド印刷の技術をだいぶ進化させてきた。正直なところ写真解像度などのクオリティはどうかと疑っていたが、通常のオフセット印刷と比べても遜色ない。そこに納得できたので本書の第二版発行となった。
さて、粟田純司さんとは「日本伝統職人技術文化研究会」の会合で何度かお会いしていたが、この夏、第二版の相談のために粟田家を訪ねたのはおよそ十年ぶりであった。
「私は今年八一になりましたよ。足腰がだいぶ弱ってね、現場案内もできなくなった」と粟田さんは笑いながら言った。思えば、本書の取材で現地案内をしていただいた粟田さんは健脚そのもので、取材のあとは居酒屋で焼酎を何杯もお代わりされていたことを懐かしく思い出す。
初版の「あとがき」にも書いているが、私の取材の相棒は「鉄の馬」(ホンダのスティング)だった。四国取材のときには奥深い山中で夕暮れが迫り、ここでガソリンが切れたらどうしようなどと思ったものだ。その鉄の馬で走行中に転倒したのをきっかけに七年ほど前に廃車した。山城を中心とした『穴太の石積』の続編(巻2)の出版を念願していたが、愛馬がいなくなったことを自らの言い訳にして断念した。
城郭ファンは昔からずいぶん多いようだが、近年はそれが「山城ブーム」に変わってきていると、知人や初版本の読者から聞いたことがある。初版本の購入者の記録を改めてみると、職業は造園や建築・設計・マスコミ関係者も少なくないが、ほとんどは市井の歴史愛好家や城郭・山城ファンの人たちだろうと推察できる。
山城といえば、石垣がよく保全された竹田城は、天空の城の呼び名のとおり、雲海に包まれたときの景観は幻想的といってよいほど美しい(私が住む丹波市の黒井城の雲海も負けないほどすばらしいが)。だから表紙カバーの写真は竹田城と決めていた。雲海の頃をねらって訪れたのは二〇〇六年の初秋、日の出の少し前だった。すでに三脚にカメラを据えた数人の人影がみえたので、私はその人影が写らない地点に移動しながら撮影していった。当時の竹田城は出入り自由だったし、城郭ファンというより一部の写真愛好家たちにとって格好の被写体だったのだ。それがいつしか入場料(観覧料)が設けられ、「竹田城・雲海ツアー」が売り出されるほどの観光スポットになっているという。初版本が出た二〇〇七年には想像できなかったことである。
半ば諦めかけていた本書の「第二版」を少部数ながら発行できたのは、印刷技術の進歩のほかに山城ブームのおかげもあるとすれば、一層喜ばないわけにはいかない。一過性のブームで終わらないことを願いつつ、私が果たせなかった「続編」を誰かが上梓することを期待している。
令和三年(二〇二一)夏
平野 隆彰