弘法大師行状絵詞伝 ーお大師さま御誕生千二百五〇年記念
お大師さま御誕生千二百五〇年記念
弘法大師行状絵詞伝
目 次
はじめに ― お大師さまってどんな方
弘法大師行状絵詞伝
凡例
第一幅軸 三十一絵
第二幅軸 三十四絵
第三幅軸 三十一絵
第四幅軸 二十七絵
弘法大師略年譜
随想 同行二人
お大師さまの叡知”満濃池”
お大師さまと神々
同行二人の四国遍路
あとがき
はじめに お大師さまってどんな方
「お大師さま」という呼び名は、なんと温かい響きを伴っていることでしょう。
多くの人々に慕われているお大師さま、その響きの声に応ずるが如く、全国各地に霊妙なお話が伝えられています。
誰もが知っている「いろは歌」は……
【諸行無常】 色は匂へど散りぬるを いろはにほへとちりぬるを
【是生滅法】 我が世誰そ常ならむ わかよたれそつねならむ
【生滅滅已】 有為の奥山今日越えて うゐのおくやまけふこえて
【寂滅為楽】 浅き夢見じ酔いもせず あさきゆめみしゑひもせす
涅槃経(大般涅槃経の略称)に説かれている四句の教理を述べた言葉を、お大師さまが四十七字の仮名文字に訳されたものです。覚えやすく、書きやすい「いろは歌」は日本国中の人々が読み書きができるようになった基礎でした。
さて、お大師さまの生涯を絵図で表した「弘法大師行状絵巻」(南北朝時代)という重要文化財の絵巻物があります。
江戸時代にこれを元に、百二十三カ条の絵を四本の軸に仕立てました。高野聖はこの軸を携えて全国各地を歩き、絵を解きお大師さまの行跡を広めました。
令和五年、お大師さま御誕生千二百五十年を迎えました。私も高野聖のようにお大師さまを慕う一人の僧として、法樂寺蔵のお軸を写真に写し詞書を添え、本の形で皆さまのお手元にお届けすることで千二百五十年をお祝いしたいと考えました。
本の表紙カバーは、法樂寺とも縁のある富岡鉄斎(一八三七~一九二四)の「富士と三保の松原」「和歌の浦妹背山・名草山・玉津島神社」(法樂寺蔵)の絵巻を用いました。
この作品は明治二十七年(一八九四)、明治天皇、皇后両陛下の銀婚祝賀にふさわしい絵を献上したいという依頼を受け、鉄斎が精魂込めて描いたものです。
私は富士山が大好きです。それゆえ、大好きなお大師さまの本の表紙に、この絵を選びました。
その富士山を、山岡鉄舟(一八三六~一八八八)は次のような歌に詠んでいます。
晴れて良し 曇りても良し 富士の山 元の姿は変らざりけり
明治天皇の侍従を務めることが決まった時、周囲からの嫉妬に苛まれた鉄舟は、富士浅間大菩薩に己の六根清浄を祈り歌を奉納されました。
私にとりましてお大師さまは富士山のごとく心の中にそびえるお方。夢とあこがれの思いを強くし、御誕生千二百五十年をお祝いいたします。
滋賀県栗東市 正樂寺において
小松 庸祐