問わずにはいられない 学校事故・事件の現場から
田原 圭子 編
「手のひらの宇宙BOOK 第5号」として9月25日に発行され、大きな反響を呼んでいます。
「はじめに」より
この本は、傷つけられた子どもと親との合作です。私たちに多くのことを伝えてくれています。そのとき子は、親は、どんな思いを抱くのか。被害をどのように受け入れ、どう戦えばよいのか。刻々と変わる思いと、時間を経ても変わらぬ思い。専門家たちでさえ知らない、たくさんの教訓や知恵があります。あふれる愛と深い哀しみがあります。
私は、事故事件情報は当事者だけのものではないと思っています。よりよい明日を築くための私たち社会の財産です。事故事件はどれ一つ同じものはありません。一方で、多くの共通点もあります。もし最初の事故事件から私たちがきちんと教訓を学び取っていたら、次の被害は防げたのではないでしょうか。同じように、このことをしっかりと後世に伝えなければ、同じことが繰り返されるでしょう。
加害者になってしまう前に、被害者になってしまう前に、子を失う前に、広く多くの人たちに読んでほしいと思います。また、不幸にして被害にあった人たちにとっても、生きていくうえでの道しるべとなるでしょう。
最後に、この本の執筆者一人ひとりに、感謝と敬意と哀悼の意を表したいと思います。
NPO法人ジェントルハートプロジェクト理事
教育評論家武田さち子
一章 いじめ
『いじめとは、相手に自分の意見が通らず、スケジュールを管理されて自由を奪われ、身動きできなくなってしまった状態のことだ。長期間脅されていく中で、相手の機嫌を取ることが生活の中心になり、自分の意思がなくなってしまう。「消えろ!」
などと罵られているうちに、自分が世の中に居てもいなくてもいい存在に思えてくるのだ』(2008年、いじめ裁判の陳述書より)。
こうしてわが子を傷つけられた、あるいは失ってしまった家族に対し「生徒らに十字架を背負わせるわけにはいかない」を口実に、事実解明の拒否・いじめの否定が始まる。
7編は問う。学校は、誰を、何を守りたいのだろう?
二章 事故・事件
「自分の子が、どうして?」「朝、行ってきます、と元気よく家を出て行ったのに、なぜ?」。事故・事件は人を選ばない。ある日あるとき、突然に起きてしまう。時計の針を戻すことはできないから、せめて、どうしてこんなことが起きたのか知りたい、それが家族の共通の思いだ。しかし、そのような切実な思いの多くは、周囲からの隠ぺいや中傷によって阻まれる。
事実すら、明らかにされないのはなぜか? 事故・事件の全容がわかれば、どんな不都合があるというのだ?
家族の側から「なぜ」を問い続ける9編である。
三章 指導死・指導被害
「指導死って、生徒が学校で何かやらかして、先生らからおこられて市(し)ぬことだろ。本人のせいじゃね? それで学校訴えるってどうよ」
教師からもたらされた指導死・指導被害などに対し、ツイートなどで見かける自己責任論である。
このような反論もある。
「例えば、職場で説教しすぎで相手が会社に来られなくなったら、パワハラでクビになるだろ。子どものしつけで殴ったり怒鳴ったりだと、児童虐待で保護者逮捕だろ。それと同じじゃね?」
学校だけは治外法権なのだろうか? 次の5編で、問わずにはいられない。