いのちの妙用(はたらき) 大槻 覚心 編著


手のひらの宇宙BOOKsシリーズ第3号

いのちの妙用――最明寺明星坐禅会30周年記念―― もくじ

はじめに
「明星坐禅会三十周年」を祝し
自然のいぶき――報恩感謝への道―― ・・・・・・大槻覚心
第一部悪人正機説について
第二部悪人正機の社会的位置
明星坐禅会三十年の歩み
現象としての空間――こころのやすらぎの場所・・・吉見正信
全身仏教者・大槻覚心さん ・・・・・・・・・・・落合祥堯
非日常を楽しむ――湧き出る心の泉――・・・・・・臼井学
「コミュニティハウス道心」と若者たち・・・・・・中澤あすか
謎だらけだから面白い「手のひらの宇宙」・・・・・平野隆彰
ふしぎなご縁 ・・・・・・・・・・・・・・・・・梅澤貞子
中国・江南の諸寺をめぐる・・・・・・・・・・・・谷口義介


はじめに    大槻覚心 

ご縁を得て最明寺に入山してから三十年余り。山門のはるか向うに、お山を眺めない日とてない。本堂の扉を開け閉めするときや境内の庭を掃きながら。冬の夜には皎々と冴えた月が山容を照らし、春ともなれば朝方に深い霧の中からうっすらと姿を見せる。真夏には緑濃くしてまさしく山が爆笑、秋になると紅・黄のもみじで身を飾る。
お山に見守られるようにして、三十年もの長いあいだ坐禅会を続けてきた。これもひとえにご参加下さった皆さまのお力添えによる。
雪が深く積もった日には、近在から雪をかき分け来ていただいた。徐々に進行する病いをかかえ、ひそかに余命をはかりながら参禅されるお方もあった。ZENに興味をもつ外国からの客人も迎えたし、夏休みの子供坐禅会では小学生たちがちょこんと坐ってくれたりした。
最近は毎回、十人前後の方々が禅室で面壁しておられる。若い人の参加が少ないのが寂しい気がするが……。
在家の出である私が仏教に親しみを懐いたのは、大学院の修士論文で親鸞をテーマにしてからだ。もちろん、それ以前から宗教的なものには興味があった。修論を出してから数年後、とつぜん異変が起き、放浪の旅に出た。数年にわたる漂泊の果て、生家に帰った。
躰を壊し、病い癒えたあと、少し働いたりしたが、そんな生活のなかで、仏のいのちの風光を浴びて生かされている自分に気がついた。そして宮津の智源寺の門を叩いた。筒井覚明禅師のもとで出家し、老師より「覚」の一字を給わった。
老師は在家の出で、屈折かつ起伏の多い人生を歩まれた。私を含め弟子のすべてが在家の出身であった。平成十四年(二〇〇二)、九十六歳をもって遷化された。それより前の昭和五十四年(一九七九)、最明寺は、自動車道の用地買収にともない、いま寺の前方に見える山の麓から現在地に移転。本堂の完成が五十九年(一九八四)。智源寺で雲水生活を送っていた私に白羽の矢が立ち、最明寺に晋山した。老師の強いご推薦があった、と後で知った。
翌・昭和六十年(一九八五)一月から、坐禅会を始める。平成十六年(二〇〇四)に、二十周年を記念して、会誌『瑞王三昧』を発行。そしてこのたび、三十周年記念の『いのちの妙用』を本の形で出す運びとなった。
いのちの妙用という言葉が意味するところは、本書に収めたいくつかの文章中にヒントがある。
ご精読をお願いしたい。