3. 六本木ヒルズ・浅草寺取材

2011.7.27~28

看板の概念とは?

巨大クモ・ママンも一種の看板(サイン)?
初めて六本木ヒルズのお上りさんとなった。
「待ち合わせ場所は、蜘蛛の巣の彫刻の前にしましょう」
南部白雲さんにそう言われて、何のことかわからなかったが、行ってみればわかるだろうと。
7月27日、六本木ヒルズの森タワー内のレストランで開かれた「伝統職人技術文化研究会」に参加するためだ。
新大阪から朝7時早々の新幹線に乗ったが、浜松当たりで激しい雨のため、20分ほど到着が遅れた。目指す「蜘蛛の巣」の彫刻に着いたときは、定刻を少し過ぎていた。会合はもう始まっている。
「これが例の彫刻かぁ・・・」。会場へ急ぎながら高さ10メートルというクモのオブジェを見上げる。一見グロテスクではあるが、高層ビルの谷間にさほど違和感もなく溶け込んでいる。ルイーズ・ブルジョアという外人さんの作品で、作品名は「巨大クモ・ママン」というらしい。66プラザという広場に「世界中から人が集まり、新たな情報を紡ぐ場の象徴」なのだという。なるほど、蜘蛛の糸(情報の糸)が人との出会いを紡ぐということか。
作品の好き嫌いはさておき、とにかく見落とすことのない存在である。渋谷駅前の忠犬八公の銅像は、待ち合わせ場所の目印(看板)として何十年もその役割を果たしている。このママンもその役割を担っているが、忠犬八公のように歴史的存在にまでなるには、多くの人々の出会いの物語(記憶)と長い時間を刻まなくてはいけない。

風景になじんだ目立つサイン
この日の晩は、浅草寺の近くに宿をとった。翌朝、有名な「 雷門のちょうちん」を撮るためである。看板の概念を、「風景になじんだ目立つサイン」という短い言葉で仮定義したら、このデッカイちょうちんも看板の一種と言えなくもない。
「では、雷門のちょうちんの前で待っているから」
「ああ、あそこなら迷うことないね」
こんな会話が、数百年の間に数え切れないほど交わされてきたはずだ。その意味で、雷門のちょうちんは宗教的装飾であるだけでなく、人待ち合わせの看板(サイン)として、目立つ存在であり、初めてそれを見る人の記憶にも鮮明に残る。歴史の重みがあり、風景になじんでいる。そのどっしりした形、燃える赤など印象としても悪くない。
「白雲さん、雷門のちょうちんも看板という見方は、どう思う」と訊ねると、
「あれもサインと考えていいよね。看板やサインの概念を拡げて考えたほうが、おもろい発想が出てくる。でも目立てばいいというもんじゃない。やっぱり、その場の空気とか環境に違和感のない看板をつくらなきゃいかんと思うね」
私も白雲さんの考えにはまったく同感だ。
存在(役割)や個性をアピールする目立つサインでありながら、周りの空気・風景にも溶け込んだ看板。これからの「街づくり」には、そういう看板が求められている。 (平野 隆彰)

補足伝統職人技術文化研究会について
7月27日午前11時より、六本木ヒルズ・森タワーのレストランを会場に「伝統職人技術文化研究会」の会合が開かれた。主なメンバー20名ほどが集まるなか、南部白雲さんはこの会の事務局長として司会進行役を務めた。
同研究会の名称は、5年ほど前に発足したときには「伝統技術文化研究会」と呼んでいたが、この1年ほど活動が停滞していた。そこでこの度、技術の前に“職人”という言葉を加えて新たな再出発となった。もとより伝統職人が集まる研究会なので、“伝統技術“というだけでは誤解を招くという理由からである。
この日集まったメンバーは、まさに同研究会の名に恥じない多彩な顔ぶれだった。宮大工、石工、鋳物師、漆塗師、
昼燻t、建具師、金箔師、鏝絵師、京彩色、ロクロ工芸、木彫刻師、そして文化財修復・設計師・・・。この顔ぶれであれば伝統文化建築の保存修復はもとより、どんな伝統建築でも企画設計段階から請け負うことができるだろう。
南部白雲さんは、会の名称変更の理由や今後の活動方針、計画予定などを説明したあと、宮大工の直井光男さん(平成22年度文化庁長官賞)、同じく宮大工の田田中健太郎さん(平成22年春瑞宝単光賞)が受賞されたことを改めて報告し、同会からの記念品を贈呈した。
会合は1時間半ほどで閉会して昼食。そして昼食のあとは、この会場のお世話もしていただいた東京港区に本社をおく(株)小林石材工業の林利江さんの案内で、森タワーの美術館などを見学し、かんかん照りの展望台で記念撮影した。
なお、同研究会は主メンバーの3名の推薦がないと入会できない。この日、「汗かき・もの書き・恥かき」と自己紹介した私は、今後も“ものかき職人”のオブザーバーとして参加させていただくことになっている。

(平野 隆彰)


カンカン照りの展望台で記念撮影 2011.7.27